Those good old dreams - 3/4

※警察官採用試験については、日本の制度を参考にしています。

【アレックス視点】

 高校の校舎の前に、わたしはぼんやり立っていた。一体何をしていたのか思い出せずに、そのまま校舎を眺めていた。

「アレックス、何してるの?」
「授業始まるよ?」

 急に背後から声を掛けられたかと思うと、そのまま背中を押されて、わたしは校舎、そして教室へと誘われていった。

――ああ、マグダに、アドリアーナじゃない。

 高校のクラスメイトだった。未だに腑抜けたような表情で、彼女たちに引き摺られるように歩くわたしを見て、マグダがその愛くるしい笑顔を向ける。ブルネットの髪、それに合わせたような黒のざっくりしたトレーナーとパンツ。なのに地味に見えないのは、この愛嬌なんだろうなと、いつも思う。

「どうしたの、今日も睡眠不足? また試験勉強?」
「試験? 今日は試験だったかしら……?」

 マグダの問いに少し慌てる。昨日? 試験勉強などしていた覚えはない。何も勉強していない日の口頭試問は辛い。
 すると、そこに口を挟んできたのはアドリアーナだ。流れるブロンドにVネックの胸元の空いたシャツ、カーディガンを羽織った彼女は、女のわたしから見ても相当セクシーだった。

「んもう! マグダったら。アレックスは筆記試験に受かったのよ。もうそんなに根詰めて勉強する必要はないわよ」

どうやら、知らない内にわたしは試験をパスしていたらしい。良かった良かった。

「それで、アレックス。次は面接試験でしょう? 体力試験もだっけ?」
「面接? 口頭試問のこと?」
「まあそうだけど……あのね、体育の口頭試問じゃないわよ」

 ふたりは少し拍子抜けたような表情でわたしを見つめてきた。そして、次に驚かされたのはわたしの方だった。

「警察官の採用試験のことだからね?」
「警察ですって!?」

 しかし、そこで声にしたことでようやく思い出してきた。そうだ。わたしは今高校の最後の年次を過ごしていて、1週間ほど前に警察官採用の筆記試験を受けたのだった。数日前だったろうか、無事にそれを通過していたことが分かった。
 思考回路が元に戻りつつあるのが表情に出ていたのか、ふたりは安堵した様子を見せた。

「ごめんなさい、なんだかぼんやりしてたわ」
「いいのよ。頑張って!」
「真面目で筋の通ったアレックスのことだもの、素敵なお巡りさんになること間違いなしだわ!」

――制服が絶対似合うわよ~!!
――制服姿見せてね~!!

 などと騒がれながら、ようやくそこでわたしたちは教室へと入っていった。

* * *

 一般家庭に普通に生まれ育ったわたし。性格は特に自覚はなかったけれど、先ほどのふたりのように言われることが多かった。
 そこまで勉強が好きというわけでもなかったし、どうするかと悩んでいたところ、たまたま警察官採用試験の案内を目にした。これは良いかもしれないと即座に思った。正直者が馬鹿を見る……という言葉の通り、真面目に地道にやったつもりが、それを逆手に取られたことが少なくない。
 それでも、法や権力を後ろ楯としていくのなら、見下されることもなく、自分の信じる正義を守ることができるのではないか。自分なりに考えた道ではあったし、その導きを信じていたのだ。

* * *

――おかしい。何かがおかしい。

 わたしは帰宅して初めて気が付いた。
 確かに警察の面接試験と体力測定の案内が着ていたはずなのだ。なのに、机の引き出しには筆記試験の合格通知しかなくて、日程が見当たらない。
 それどころか、予定を確認しようにも、なぜか家のどこにもカレンダーがないのだ。バッグに入れていたお気に入りの手帳もなくなっている。
 家にいた母親にも、自分の面接はいつだと言っていなかったか訊いてみた。

「まあ、その内あるでしょう、心配しなくても」

 これにはこちらが驚いてしまった。
 普段あんなに、わたしが外で失敗しないよう小言を言ったり、何かと世話を焼きたがっていたはずの母親が言うことではない。
 だが、その母が言うのなら……とも思った。このまま身を任せて、いつか来る“その内”を待つのもいいかもしれない。
 そう思うと、ふわりと気持ちが軽くなった。
 何となくハイな気持ちになって、体力測定の対策がてら、ランニングでもしてみようかという気になった。
 家を出て、靴紐を結んでいた、その時である。

――ギャァァァァッ!!

 背後から、そんな薄気味悪い声と共に、黒い何かが迫って来た。しかし、振り向く間もなかった。
 気付いたときには、鋭い痛みと共に右手から鮮血が飛び散っていた。

「つうっ……痛いッ……今のは……」

 痛みのあまり、その場から立ち上がれなかった。しかし、背後から追い越しざまに襲ってきた黒い影を見上げるのを忘れはしなかった。

――カラス? カラスですって!?

 その影は目の前の電線にとまり、くちばしから血を滴らせていた。
カラスが人を襲うニュースを、観たことがある。でも、それは餌狙いだったり、自分の巣を守るためだったりするはずだ。
 カラスはじっとこちらを見つめるだけで、餌を取らないし、巣にも戻ろうとしない。
痛みに耐えかねて、負傷した手にそっと視線を移した。右手の手のひらに、ぱっくり穴が空いている。
一瞬嘘だろうと思ったが、何かがわたしの脳裏でチカリと光った気がした。

――この傷は……わたしは、この傷を知っているわッ……!

 しかし、それ以上は思い出せなかった。右手を見たままじっと考えていると、今度は背中をバン!と叩かれた。

「先輩ッ!? どーしたんすか、それッ!!
 すげー血が出てんじゃあないですかッ!?」

 今度は何だと振り向けば、ブルネットの髪をした少年がすごい形相で叫んでいる。肩から掛けられた鞄の、赤い飛行機のキーホルダーが揺れている。少年……だろうか? 筋肉質の体つきのはずなのに、どこか雰囲気が女の子っぽいのは、頭につけたオレンジ色のヘアバンドのせいだろうか。

――先輩と呼ばれたような気がしたけど、こんな後輩の知り合いいたっけ……?

「チキショウ! すげー血が出てるから意識朦朧としてんのかよォッ!」

 わたしが色々と考えている間に、その後輩はわたしの腕を持っていたタオルでくるみ、押さえてくれた。

「学校に戻るぜッ! ■■先生ならなんとかしてくれるはずだッ!」

 一瞬、え? と聞き返そうとしたが、そんな猶予も与えない勢いで、その子はわたしを背中に担いで走り出した。
 確かに誰か先生の名前を言った気がするんだけど……そこだけザーッという音が流れたような気がして、聞き取れなかった。
 それに、わたしを背中で上下させながら走る彼を見ていると、どこかで見たことのあるような気がしてきた。
 そんなことを考えていたので、なぜ彼が病院でなく学校に駆け込んだのか、なんてことは全く疑問に思わなかった。

「先生ッ!! 大変なんだッ!!」

 学校に着き、そう言って彼が飛び込んだのは保健室だった。

――いやいや、このケガは保健室では無理でしょうー?
  保健室の先生は医者じゃないんだから!

 彼の言動に驚きながらも、保健室の奥から現れた人物に目をやった。

――あれ? うちの養護教諭って男の先生だった?

 白衣を着て、早足に歩み寄ってきたのはブロンドの若い男性だった。前髪がとても特徴的だ。大きく3つのカールがある。
 先生がわたしの右手を取る。そして、わたしをここまで運んできた彼に礼を言うと、あとは任せてくれと伝えて退室させた。

「先生、こんなケガじゃあ病院に行かないといけないんじゃあないでしょうか?」

 思わず口にしたが、先生はわたしを保健室の椅子に掛けさせる。

「その傷は、どうしたんです?」
「そ、それが……信じて貰えないかもしれないんですが……。
 カラスに襲われました」
「カラス?」

 やはり訝しげな表情をされた。自分でも信じられないのだ、仕方ないと思いつつ次の言葉を探したが、先に先生が口を開いた。

「本当にカラスに襲われたのですか?
 ほら、見てください。何かが刺さっていますよ」

 ハッと思わず身を引いた。いつの間にか、わたしの手には矢が刺さっていたのだ。
 先生はなんの前置きもなく、その矢を引っこ抜く。再び激しい痛みと出血が伴ったが、先生はそ知らぬ顔で矢を眺めていた。

「変わった矢ですね。一体こんな物どこで……」
「失礼しますよォー」

 言い終わらないうちに、どこか拍子抜けたような男性の声がして、保健室の扉が開かれた。
 ニット帽を被った、男子生徒と思われる人がそこにいた。

「おぉ、いたか。ちょうど良かった。担任が呼んでるぜ」

 男子生徒はわたしを見つけると、ニヤリと笑ってそう言った。

「えっと……貴方は?」
「おいおい……マジに言ってんのかよォ……クラスメイトだぜ、俺は」

 そう言って、呆れながら保健室に入って来る。

――クラスにこんな人、いたっけ…。
  いや、こういうお調子者タイプの人、確かにクラスにひとりはいてもおかしくないんだけど…。

「さあ、行くぜ」
「ちょ、ちょっと待って。わたし、まだケガが…」
「ケガ? もう治して貰ったんだろう?」

 ハッと右手を見る。そこには、さっきまでぽっかりと空いていたはずの穴が埋められ、元通りの右手になっていた。ケガなんて嘘だったようだ。思わず手のひらの表と裏を確認する。
 今まで男子生徒に気を取られていたが、確かに痛みも感じなくなっていたような気がする。
 先生をじろっと見ると、やはり何もなかったかのように微笑んでいる。

「さあ、担任の先生が呼んでいるんでしょう?」

 しれっと退室を促され、わたしは男子生徒と共に保健室を出て歩き始めた。歩いている間も、そのクラスメイトは調子良く話し続けた。

「俺はなァ~あそこのカフェのドルチェが一番だと思うんだな!
 その中でもイチゴケーキがイチオシだなァ。今度一緒に食いに行かねェ?」
「い、行きませんよッ!」

 男の子からデートに誘われたことのないわたしは驚いて、反射的に断ってしまった。
 しかし、再び奇妙な感覚に襲われた。

――待って……わたし、前にもこの人に何かを誘われなかった……?
  あまり良いお誘いじゃあなかった気がするけど…。

 自問自答している内に、男子生徒が先程のように派手に職員室の扉を開けた。

「おいッ、■■ッ! もっと静かにドアを開けろと言っているだろうッ!」

 入室早々、そうたしなめてきたのは、金髪の若い男性教師だった。緑色のスーツを着て、なぜか大きな百科事典を抱えている。シャツをちゃんと着ていることが意外に思えてしまったのは何故なのだろう。
 そしてやっぱり、人の名前は聞き取れない。

「なんだよォ、せっかく呼んできてやったのによォ」

 え、と思わず声が口からもれた。それじゃあこの人が担任教師なのか。
 しかし、わたしは心の中で、あり得ない自問自答を始めてしまった。

――担任って……こんな人だった……?
  こんなに若い……さっきの保健室の先生だってすごく若かったし……。

 まさか、自分が担任を忘れてしまうとは思わなかった。
 しかし、その思いとは裏腹に、わたしはひとりでに進み出て、担任に話し掛けていた。

「先生、わたし、今度の面接試験で相談が……」

 まるで誰かに操られているようだった。ただ、自分の話していることを聞いて思い出す。
そうだ、わたしは面接試験の日程が気にかかっていたのだ。ここで訊いてしまおう。

「ええ、分かっていますよ。それで貴女を呼びました」

 担任は男子生徒に礼を言って帰らせると、話を続けた。

「君は警察学校の見学に行っていませんでしたよね? それじゃあ面接の答えに少し弱いと思うんです。
 それで、これです」

 担任は手書きの地図が書かれたメモを手渡してきた。

「うちの高校を卒業した、現役の警察官に仕事の話を聞けるようなんです。
 話をしに行ってみませんか?」

 所謂OB訪問というものか。地図を受け取りながら思った。
 とりあえず、採用試験は前に進んでいるということにも安堵しながら、わたしは頷いた。
 担任教師は微笑むと、それじゃあ気を付けて、と早速わたしを学校から送り出してしまった。

――さっきから時間の流れがよく分からないな……。
  でも、職員室にカレンダーがあったわ。

 地図の場所へ向かいながらも、10月のカレンダーが掛かっていたのを思い出し、再び安堵した。依然試験日程は分からなかったのだが……。
 渡された地図はそこまで簡単なものでもなかったのに、気付けばあっという間に目的地に着いていた。

――なんだか、まるで夢でも見てるみたい。
  自分の思ったことは違うことをしてしまうし。
  さっきだって手をケガしたり、いつの間にか矢が刺さっていたり。最後には何もなかったように治ってしまうんだもの。
  こうやって都合よく目的地にも着いてしまうんだから。いつの間にかきっちりした服装だし。

 地図にあった警察署だった。受付で名前と要件を伝えると、2階の一室に案内された。
 その応接室には時計が掛かっていて、夕方の5時になろうとしている。机には卓上カレンダーが置かれている。こちらは丁寧にも過ぎた日に赤ペンで×がしてあって、それに従えば、今日は10月6日だ。

――夢じゃあない。こんなにはっきりしてるじゃあないの。

 椅子に掛けながらホッと一息つくと、ドアがノックされた。
 返事をして立ち上がれば、ドアからやけに大きな影が入ってきた。

「……」

 お互い無言になった。
 その人は警察官の制服を着ていたが、警察官にしては異様だった。まず、帽子から流れるような長髪。銀色のそれは、後ろで纏められることもなく、毛先は外向きにはねてしまっていた。まさか警察官がこのような頭髪を許されるわけがないだろうと思った。
 そして、長身から見下ろす視線がとても冷たい。それに無表情だった。とてもOB訪問を快く受けてくれたようには思えず、思わず身震いする。

「あのッ……初めまして、本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 しどろもどろになりながら言ったが、警察官はふっと短いため息のようなものを着く。
 そして、わたしから視線を反らしたまま、向かいの椅子にどかりと沈み込むように掛ける。

「それで、訊きたいことって何だ?」

 警察官は驚いたことに、脚を組みながらわたしに問う。
 わたしは慌てて膝の上にあった鞄から手帳を出し、メモの準備をする。

――なんだ、あったじゃない、この手帳。
  鞄も持ってきていたのね。

 お気に入りの手帳が自然と鞄からでてきたことにホッとしながら、インタビューを初めた。

「アバッキオは、どうして警察官になろうと思ったんですか?」

 自分の口から出た言葉になぜかビックリしてしまった。

――え? いきなりそこから訊くの?
  しかもわたし、相手方のこと、今呼び捨てにしなかった?
  いや、そもそもアバッキオって誰……?

 しかし、警察官は無礼に怒ることもなく、やっとわたしに目を合わせると言った。

「お前は……? お前はどうして警官になりたかったんだ……?」
「わたしは……」

 色んなことがおかしいはずなのに、なぜかわたしは真摯にそれに答えようとしていた。
 だが、そこで警察官は椅子から身を起こして話し出した。

「お前はこれから、記憶の底に封印したものを再び見ることになる」

――は?

 ますますわけが分からなくなってきた。

「でもお前なら……お前の意志があればきっと……」

 言い終わらないうちに、急にガガガ……という機械音のようなものが警察官の声に混じり始めた。そうだ、さっき学校で人の名前が聞き取れなかったときも、この音がしていた。
 すると、どうだろう。警察官の姿が歪み始めた。身長は低くなり、代わりに細身だった体はでっぷりと太っていった。銀髪は抜け落ち、端整な顔立ちは歪み、別の顔へと変わっていく。
 その男の顔を見て、わたしはわけも分からず震え始めた。

「あ……あ……」

 喉から声が出ない。しかし、頭の中では自分の声ががんがん響いていた。

――お前は……お前はッ……! 忘れもしない……!
  どうして記憶の底から湧いてでてきたッ!
  わたしに一体何をするというんだッ!

 何をするんだと言っても、わたしにはもう分かっていた。
 その男がこれから何をするかも、わたしがそいつに何をしたかも。

「君ィ、警察官になりたいんだろゥ?」

 さっきの警察官とは似ても似つかぬ甲高い声で、その男はニヤニヤ笑いながらこちらをジロジロ見る。

「面接なんて、何をどうやって点数付けてんのか、わかんねェじゃあないか?
 だから、俺が言っといてやるよ、君を合格にしてくれるように」

 そして、舌なめずりをして言った。

「だから、脱ぎな」

 そう言って椅子を蹴るようにして立ち上がると、男が近付いて来た。

「やめてください……やめて……」

――ああ、次にわたしはッ……次にわたしはッ……。

 自分を止めようとしたが、無理だった。
 飛び掛かって身体を触ろうとした男の顔面に、自分の右の拳が食い込んでいくのが、スローモーションのように見えた。
 まるで顔面に陥没していくようなその右腕は、一瞬、女性とは思えないほど筋肉質のように見えて、錯覚かと思った。
 男の絶叫が響き渡ったと同時に、ふいに足元が心もとなくなり、落とし穴でも空いたかのように、わたしは暗闇に突き落とされて行った。

「いやあああああッ!!」

 どこまでも落ちるかと思いきや、冷たい床に叩きつけられた。
 足や腰の痛みに耐えていると、急にガチャン!と金属音がする。扉でも閉められたのか。

――ここは……留置場よ。

 檻のような場所なのに、そうと分かったのには理由があった。
 すべて思い出したのだ。
 かなり記憶が錯綜し、過去同士で絡み合ってていたものの、先ほど目の前に起きたことは事実だった。

――忘れもしないわ。
  10月6日、試験の少し前に、現役警察官にインタビューに行ったわたしは……。

 そこで、ガシャリ、キィーッという金属音が再び響いた。コツコツという革靴の音に、顔を上げた。

「アレックス。お前は正当防衛だ。俺には分かる。
ヤツが有力者の息子で金を積むというのなら、こちらも手段を立てようじゃあないか」

 おかっぱ頭で、白地にオタマジャクシ柄のようなスーツを着た男性は、そう言った。
 わたしは、迷うことなくこう言った。

「ブチャラティ……! ここから出してッ……!!」

 彼が微笑んだかと思うと、なぜか暗い留置場に光が差し込み、そのまま何も見えなくなってしまった。

【アバッキオ視点】

 アレックスの写真を持って逃げるトスカーニを、俺とジョルノは追い詰めた。
 そんなにも足も速くなかったし、スタンド使い以外をターゲットにしてきたヤツだ、大したことはなかった。
 ジョルノのゴールド・エクスペリエンスによってラッシュを喰らった後、ヤツはジョルノが生み出した木々や蔦に絡みつけられて、完全に拘束状態にあった。

「てめェ、ジョルノ何しやがった……コレ、直せるのかよ……」

 ただ、問題は生じていた。当の本人はと言うと、涼しい顔をしてやがる。

「ええ、くちばしが刺さって右手の部分に穴が空いたようです。
 しかし、この写真に傷付いた通りのケガを負うようなら、致命傷ではないはずです」

 ジョルノはトスカーニを追うために、ゴールド・エクスペリエンスであらゆる物を生物に変えて追跡していた。
 そして、ヤツが写真館でこっそり拾っていたハサミから生まれたカラスが、ヤツを隼の如く捕らえた……と思ったのだが。あろうことか、アレックスの写真まで傷付けちまった。
 写真の破れた部分からは、どくどくと血が流れ出ている。

「しかし、アバッキオ。
 外から呼び掛けても無駄なら、逆にこれくらいの外からの刺激があった方が、アレックスも気が付くでしょう」

 なるほど、故意にやりやがったか。
 ジョルノがすぐに写真を繋げたが、破れが直っただけで他の変化はない。
 写真を見下ろす俺たちの横から、忍び笑いが聞こえた。トスカーニの野郎だった。拘束されたというのに、薄気味悪く笑い続けていた。

「あァ? 何が可笑しいんだ、貴様」
「甘いですよ……」

 顔を腫らし、血まみれになりながらもトスカーニの野郎は表情はそのまま、冷たく笑い続けていた。

「何だと……?」

そして口も減らないらしい。

「写真に傷を付けたということは、外から刺激を与えて思い出を傷付けたということ……。
 知りませんよ? 記憶が複雑に絡み合い、挙げ句の果てに思い出したくない辛い過去まで思い出したら……彼女の精神が崩壊しますよ……?」

 そこまで言うと、イーヒッヒ!! と高笑いする。

「テメェ! ハッタリかけてんじゃねェぞ」

 そこからはひたすらヤツを何度も蹴り上げた。もう何も話せねェほどに。
 投げ出された足を踏みつけ、グリグリと押し付ける。ミシッという音の後に、脆い音がしたような気がした。
 顔面は血まみれで、眼鏡の歪んだ骨格だけが鼻に引っ掛かっている。
 ヤツの笑いは消え、呻き声だけを上げていた。

「アバッキオ、そのくらいにしないと、死んでしまいます。
 あくまでも任務は調査ですからね」

 拳を振り上げたところに、横からジョルノの野郎が口を挟んでくる。
 チッと舌打ちしたが、俺はトスカーニの野郎を見下ろしたままだった。

「精神が崩壊だって……? ああ、やってみろよ。
 俺たちはスタンド使いで、組織の人間だ。
 アイツは一瞬お前のスタンドにハメられたかもしれねぇ。
 でもな、お前を始めとしたそこら中の人間に、自分は男だと徹底的に騙してきたような女だ……簡単にくたばるわけねェだろうがッ!!」

 そう言って、もう一撃をヤツの少し出っ張った顎に食らわせた。そんな俺を、アレックスの写真を持ったままのジョルノがきょとんと見つめている。
 らしくないことはこの俺が一番分かっている。
 トスカーニは捕らえた。あとはこの野郎を、組織の中枢に引き渡し、報告をすれば完了なのだ。任務のために多少の犠牲は仕方がない。それが信念であるはずだった。
 なのに、俺はこのままアレックスを逝かせちゃならねえ気がしたし、一度でも俺を面食らわせたようなヤツが、このままやられるワケがないと、そうであってくれと願っていたのかもしれない。

「アバッキオ。ほら、見てください」

 ジョルノが誇らしそうな表情で、アレックスの写真を俺に見せる。
いや、もうそれは写真ではなくなっていた。空気を入れて膨らむビニールの浮き輪のように、だんだん厚みを増してきていた。
ジョルノがそっとそれを地面に置くと、人の背丈ほどに伸び始める。
やがて、カメラのフラッシュのような閃光を放ったかと思うと、写真より少し垢抜けたアレックスに変わっていた。

「アレックス……」

 思わずジョルノと共に駆け寄る。ジョルノがアレックスの細い腕を取る。

「気絶しているだけのようです。生命の反応は……ちゃあんとあります」

* * *

 気を失っているアレックスはジョルノに任せて、病院に行かせた。
 俺は近くの電話を借りるとブチャラティに連絡を取り、指示通りにトスカーニのヤツを組織の別の幹部に引き渡すと、リストランテに向かった。

 任務中は、任務のことしか考えない。
 ただ、終わってみれば色んなことに沸々と怒りがつのってきた。
 アレックスのヤツがトスカーニのスタンド攻撃をまともに食らって、任務の足を引っ張ったことはもちろんだ。
 しかし、誰にでもそういったことはあるし、そこが運の尽きだ。ダメなそいつを見捨てて任務を遂行する。いつもならそうやって淡々と処理する俺のはずが、どうしてアイツに乱されてしまったのか。
そして。
 ジョルノにアレックスを病院に行かせたのは、大事を取ってのこともあるが、この疑問のためだった。

――ブチャラティ……アンタ、どういうつもりだったんだ……。

「ご苦労だったな、アバッキオ」

 リストランテいつもの席に、ブチャラティはいた。他の仲間もいる。
 いつもだと忙しく街のあちこちで仕事をしているが、今日はたまたまここに戻って来たところを電話で捕まえることができた。

「あれェ? アバッキオ、ジョルノとアレックスは一緒じゃねェのかよ?」

 ナランチャが尋ねてきたところを見ると、俺の報告はブチャラティにしか伝わってないようだった。アレックスのことも、敵スタンドのことも報告済みだ。秘密にしておきたいのか。そう思うと再び苛つきがつのる。どうにでもなれ、と少し声に力を込めた。

「ジョルノがアレックスを病院に連れて行ってる。
 ケガはジョルノが治したが、スタンド攻撃で気を失ったんでな」

 思った通りだ。ナランチャは勿論だが、フーゴとミスタまでこちらに聞き耳を立てたり、振り返ったりした。
 アレックスがスタンド攻撃を受けてどうなったのか、気にならないはずがない。

「ブチャラティ、アンタは分かっててやってたのか。
 最近アレックスとふたりコソコソしてたのは全員知ってたが、チームを騙すのをなんでアンタが許したのか、俺は理解できない」

 ブチャラティは表情を全く変えず、俺から視線も反らさず聞いていた。
 それに対比するように、ナランチャ、フーゴ、ミスタは息を潜めている。

「何があったっていうんです? アバッキオ。アレックスはまさか……」
「ブチャラティ。あんたの決めたことだから俺は従うのみだ。
 ただ、アイツを、チームに秘密や嘘を生むまでして守りたかったのか?
 なんでそこまでして、アイツを引き入れた?」

 フーゴが問うて来たが、何があったか薄々勘づいているはずだ。あえて俺は無視してブチャラティに向き合った。
 ブチャラティは一息付くと、再び俺の目を正面から見つめ返して言った。

「チームに秘密を作ったことは悪かったと思っている。
 言い訳がましく聞こえるかもしれないが、アレックスとふたりで話していたのは、チームに打ち明けるべきだと説得していたからだ。
 アレックスの姿が偽りであったとしても、俺のチームに来てからこなしてきた任務は偽りではない」

 聞いていたナランチャが思わず、だけどよッと口を挟んできた。

「そ、そんなの…俺たちを騙しておきながら、それはないだろッ!?
 あっさり、ハイそうですか、なんてなるわけねーじゃあないか?」
「ああ。それでも俺はチームのこれからのために言うべきだと思った。
 そして、それはアレックスの口から伝わるべきだったと思っていた」

 一呼吸おき、ブチャラティは再び口を開く。

「なぜ、引き入れたかだったな。
 俺は、ある日ポルポから連絡を受けた。君を頼って試験を受けに来た者がいる。当初は追い返すつもりだったが、ヤツは矢を受けてスタンド使いとなった。なかなか“面白い”スタンド使いだから、望み通り君の部下とすることにしたと」

――ブチャラティも知らなかったってことか!?

「それが誰か分からないままこのリストランテに呼び寄せた。
 始めはアレックスの顔を見ても思い出せなかった。
 ただ、よくよく目を見てみると思い出した。なんてスタンドだと思った。
 アレックスは、その少し前、町の有力者の息子とトラブルを起こして刑務所送りにされかけてた女子高生だった」

 ミスタの表情筋がピクリと動いた。ナランチャは納得できないという態度のままだ。
 その先は、全員が言わずとも分かった。組織の名か金を使って、ブチャラティは彼女を救い出したのだろう。
 フーゴだけはそのまま冷静に話を聞いていて、ブチャラティに問い掛けてきた。

「しかし……あなたは行き先のない女性や子どもを助けたことがあっても、けして組織に引き入れることはなかったじゃあないですか!?」
「そうだ。だからアレックスも同じようにしたはずだった。
 しかし、そうしたところで、もう彼女は表社会で生きていくには手遅れだった。
 誰もが自分のことを、とんでもない女だと知っていて、家族にも学校にも見捨てられたんだからな。雇ってくれるようなところもない。
 だから俺の名を頼りにポルポのところまで行ったんだ、生きるためにな」

“見捨てられた”という言葉が耳に痛かったのか、ナランチャは少し弱腰になって言った。

「一体何やったってんだよ。刑務所送りにされそうなことって……。
 ブチャラティがわざわざ助けるまでのこと……」

しかし、それは皆まで言い終えることはなかった。

「それは言えない。なぜかはナランチャ、お前だって……いや、お前だけじゃない。
 皆分かっているはずだ。
 俺が彼女を助けた理由はふたつ。
 彼女がスタンド使いか、その素質を持っているのではないかと思ったこと。
 そして、そのスタンドで正当防衛をしたと思ったからだ」

 案の定、ポルポによってスタンドは覚醒したようだったがな、と言い添える。そして続けた。

「全員に正体がバレてしまった以上、彼女はこれからどうするか選択を迫られる。
 でも、俺は彼女の判断に委ねるつもりだ。
 行き場をなくして組織に入ったんだ。他に行くところもないと思うが」
「そんな! 今まで僕たちのことを欺いてきたのに……。
 これからもそんなヤツと命懸けで任務をこなしていけるとでも!?」

 フーゴが、さすがのブチャラティ相手でも、冷静さを失いかけていた。
 しかし、ブチャラティはそれさえ物ともせず、立ち上がると言った。

「だから、言ったはずだ。
 たとえ女であることを隠してきたとしても、俺たちと共に組織のために働いてきたこと、共に過ごした時間は偽りではないはずだ、と。もちろん、これからもここにいたいと言うのなら、覚悟を持って仕事をして貰わなければならないし、それによって信頼を勝ち取って貰わないと困るのは勿論だがな。
 それに、お前らがアレックスのことを探っていたのは知ってる。
 なぜお前らはアレックスのことをそんなに気にかけてたんだ? 裏切りを疑ったわけじゃあなさそうだ。胸に手を当てて、よく考えてみるんだな」

 最後にニヤリと笑うと、次の約束があると言って、リストランテを出て行ってしまった。
 残されたメンバーは呆然としていたが、俺はすぐにブチャラティを追った。

――どうにも納得できねぇ!!

 ブチャラティは急ぐ訳でもなく、スマートに歩みを進めていた。
 入り口でリストランテの店員に声を掛けて、出るところだった。

――本当にそれだけか!?

 まるで、俺のその心の叫びが聞こえたかのように、ブチャラティは振り返った。
 少し驚いたような顔をしたものの、あとは先ほどのように余裕のある微笑をたたえていた。

「ブチャラティ。俺たちを見くびるなよ。
 一緒に働いてきたのはアレックスだけじゃあねぇ。あんたと俺はそれより長い。
 隠し事ができないのはあんただってそうだ。
 あんたは一体、何を守るために、何を隠してるんだ」

 そこで初めて、ブチャラティは考え込むような表情をした。
 そして、来いと言って、俺と共にリストランテを出た。

「確かに、見くびっていたようだな」

 リストランテからかなり離れた公園で、やっとブチャラティは口を開いた。
 海を眺めたまま、ブチャラティは続けた。

「あんたは、誰かに押しきられるようなヤツじゃあないだろう。
 つまり、アレックスの願いに応えてやっていたのにはワケがあるな?」

 しかし、ここまで言っておいて、俺も何か確証があるわけでもなかった。
 ただ、冷静なブチャラティの微笑の奥に、何かがあるようでならなかった。
 ブチャラティは、ただの女への同情でアレックスの要求を飲んだのか?
 ブチャラティなら、もしかしたらそうするのかもしれない。ギャングの道を選んだアレックスに、特別な感情を抱いているのか。そうではなくても、それはなんだか知ってはいけない事のような気もした。

「アバッキオ。さっき電話で言っていた、敵のスタンド……」

 かと思うと、ブチャラティは急に先ほどの仕事話を振ってきた。
 ああ、と中途半端な返事をしてしまったが、構わずブチャラティは続けた。

「アレックスはスタンドの技にはめられて、思い出の中に閉じ込められた。
 敵が言うには、ギャングになったことに後悔があるだろうと。
 でも、ジョルノとお前は平気だった。
 ジョルノは分かるぜ。詳しく言えないが、それなりに野心家だからな」

 思わず声まで上げて笑いだしたブチャラティに、俺は焦りを感じた。
 次にブチャラティが言うことが、その時点で分かったからだろう。

「お前は……どうだ? 過去から開放されたか?
 ことあるごとに苦しんでいるのかと思っていたが、スタンドにかからなかったのなら、俺の杞憂だったのかもな」

 言われてハッとした。
 そして、違う、俺は忘れてなんかいないと言い掛けた。
 事実、俺はヤツのことを忘れたことはない。この重すぎる十字架から逃れられることはないし、免れるつもりもなかった。
 しかし一方で……特に、チームの仲間といるとき、それを忘れられるような瞬間があることを心で認めてしまうと、言い掛けた言葉は溜め息になった。

「杞憂なら良かったんだ。余計な心配を掛けてすまなかった」
「待て……どういう意味だ、それは。
 過去に囚われていたのはアレックスのヤツだ」

 そのまま行ってしまおうとしたブチャラティを引き留める。

「言ってしまえば最後だ。
 お前が過去にまだ囚われているというなら尚更な。
 アレックスが何に囚われたのかを聞けば、お前はもう、アレックスを冷静に見られなくなる」

――どういうことだ……?

 その先のブチャラティの言葉を聞き、俺まで悪夢を思い出すことになった。
 そして、ブチャラティの言った通りになることは間違いないと思った。

――なんてこった……俺たちは何てものを持ち合わせていやがったんだ……。

 いや、持ち合わせるなんておこがましいだろう。
 俺は罪を犯し、そして取り返しのつかない罪を上塗りすることになった。
 アイツは男という権威と、更なる権力に押し潰されて、それ故俺たちに真実を隠して生きてきただけだ。生きるために。その為の嘘なんて、かわいいもんだ。

――でも、アイツは知らない……それ以上の失望があそこにあったことをな……。
  所詮警察なんてそんなところさ…来なくて良かったんだぜ……。

 一方で、寧ろ良かったではないかとも思った。
 警察はアレックスの人生を台無しにしたような奴らで溢れ返っているのだから。
 だが、それで彼女は一生を棒に振ったのだという怒りが込み上げてきた。

――クソッ、俺はどうして……。

 仕事に向かうブチャラティと別れると、俺はある場所に向かった。

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